【新約聖書】冒頭だいぶ違うのね【ルカ伝】
『新約聖書』のルカによる福音書の最初の方を読みましたが、いきなり献呈の言葉なんてのから始まりました。テオフィロ様という方に献呈するために書いたのかな?誰ですかねテオフィロ様って?
まぁそれはいいとして、ルカ伝ではイエス誕生の経緯がマタイ伝とはだいぶ違うのが興味深かったです。マタイ伝だと、東の方から学者が来たとか、ヘロデが子供を皆殺しにしたので、その難を逃れるためにエジプトの方に避難したとかの話があったと思うんですけど、ルカ伝だとそういのう無かったですね。
その代りに洗礼者ヨハネの誕生のことが詳しく書いてありました。
イエスの母のマリアとヨハネの母は親戚みたいなことにもなってたし。
まぁこのへんの話は、後から盛ったような感じがしました。
マタイ伝の話ももったような感じしますけど、ルカ伝のも盛ったのではないでしょうか。
聖人の誕生には色々な神秘的なエピソードが語られるのはよくあることなのではないでしょうか。
イエスの少年時代のエピソードが語られているのも面白いですね。
イエスが12歳のころ、イエス一家はエルサレムに旅したそうですが、帰路にイエスがいないのに両親が気づき、エルサレムまで戻ってみたら、イエスが神殿の中で学者たちと議論していたのだとか。
イエスの母が何してんのと言ったら、イエスは「私が自分の父の家にいるのは当たり前」みたいなことを言い放ったらしい。
イエスにとっての父というのは神ということなんですかね?
イエスの非凡さを伝えるエピソードのようにも見えますが、ちょっと生意気な気もしますね。
ナザレでは受け入れられなかったというエピソードも、少し詳しく書いてあって興味深かったです。
マタイ・マルコ伝ではわりとサラッと書いてあるだけだったような気がしますが、ルカ伝ではけっこう詳しいエピソードが書いてありました。
ナザレの人々を怒らせてしまって、崖の上から突き落とされそうになってしまったそうじゃないですか。
まぁ突き落とされる前に立ち去ったようですが。
ここでも少しイエスの生意気な性格が滲み出ているような気がしてしまいました。
若造に「はっきり言っておく」とか言われたらね、ちょっとね。
もしかして論破王みたいな人だったのかな?
今度この決めゼリフ使って他人を論破してみようかな。
「はっきり言っておく。それってあなたの感想ですよね。ハイ論破!」
みたいなね。